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大阪高等裁判所 昭和40年(行コ)54号 判決 1971年8月02日

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人は、本案前として、「原判決を取消す。被控訴人の訴を却下する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、本案について「原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は、主文と同趣旨の判決を求めた。

当事者双方の事実に関する主張および立証の関係は、原判決一五枚目裏一〇行目の「代下」を「以下」と同一七枚目表三行目「本件場所在」を「本件場所所在」とそれぞれ訂正し、つぎに付加するほかは、原判決事実摘示記載と同一であるから、これを引用する。

(当審の主張)

一、控訴人。

(1)、原判決は、控訴人と被控訴人との間には、上級下級の関係はなく、控訴人は、紛争を第三者的な立場から処理する裁定機関としての実質を有するとしたが、これは、国民健康保険法および行政不服審査法(以下単に審査法という)の解釈を誤り、保険者の処分についての審査請求の目的および国民健康保険審査会の性格を誤解したものである。

(2)、なるほど審査会と保険者との間には、一般的な指揮監督の関係はない。また、審査庁には処分庁の上級行政庁(審査法五条一項一号)とそれ以外の行政庁(同項二号)とがあり、処分の執行停止(同法三四条二項および三項)および裁決(同法四〇条五項)に際して、権限に若干の差異が認められている。しかし、だからといつて、上級行政庁以外の行政庁(審査会)が審査庁として行なう裁決に処分庁(保険者)に対する行政監督の作用がないと考えるのは、早計である。

(3)、行政不服審査の制度は、行政機関自身が、国民の不服申立を通じて、違法または不当な行政処分の存在を認識し、早期にこれを修正する機会をとらえることによつて、行政の法適合性および公益適合性を確保しようとするものであり、国民の不服申立を通じて行政権の自己統制ないし行政監督の効果をあげようとするものにほかならない。そして、行政の適正な運営を確保するという目的を達するために、行政権の内部に設置せられた機関であることは、すべての審査庁に通ずる共通の基本的な性格である。従つて、違法または不当な処分を変更するなどの権限を認めるかどうかは、審査庁の性格上の差異から認められた理論的、必然的な区別ではなく、政策的な理由によるものであつて、上級行政庁以外の審査庁にも、審査請求の対象となつている事項に限つて、しかも裁決という限られた方法を通じてではあるが、行政の適正な運営の確保のために、行政監督としての機能を付与せられているものと解さなければならない。

(4)、原判決は、審査会の委員が被保険者委員、保険者委員、公益委員の三者で構成されていることから、審査会は一般の審査庁とは性格の違う機関であるとし、それを被控訴人に控訴人の裁決について出訴権を認める重要な論拠としている。これは、おそらく同じような三者で構成されている労働委員会の性格および労働委員会の命令に対する使用者の出訴権に準じて考えればよいとする趣旨であろう。しかし、この両者は、単に委員の構成こそ類似しているが、それが設置された目的、そこで処理される問題の性質も、当事者の地位も全く違つていることを看過してはならない。即ち、労働委員会に申立てられる問題は、本来当事者間の自主的な交渉によつて解決されるべき性質の問題であり、その当事者は、対等な立場に立つ私人である。労働委員会は、紛争自体についても、また両当事者に対する関係でも全く独立した第三者である。これに対して、審査会は、保険者や国および都道府県と共に、国民健康保険行政という同一行政の系列内にあつて、それぞれの立場から、国民健康保険行政の適正な運営に寄与するために設けられた行政機関にほかならない。そして、審査会の委員が三者構成をとつているのは、専門的な知識の利用と裁決の公正の担保のために、立法政策上採用されている措置であり、審査会の性格にとつて必然的な要請であるとは考えられない。

(5)、原判決は、被控訴人に出訴権を認めるべき理由として、保険者の職責と審査請求人の出訴権との均衡および保険者の権利主体としての地位とをあげている。しかし、審査会の裁決には、処分庁(保険者)に対する行政監督の作用が認められているのであるから、審査会と処分庁との間に意見のくい違いがある場合には、審査会の意思に優越的な妥当力が認められなければならないし、審査庁は純粋な第三者として(行政権の外部にあつて)紛争を処理するものではないから、当事者間の均衡は、はじめから問題にならないはずである。従つて、審査会の裁決に従うことこそ保険者の職責であり、そうすることによつて、はじめて国民健康保険制度全体の適正な運営が保たれ得るといわなければならない。

(6)、原判決の「保険者の権利主体としての地位」が何を指しているのか必ずしも明らかではないが、おそらく「国民健康保険事業が、本質的には私保険と何ら異なるところがない」との被控訴人の主張を採用し、このような保険者としての、被保険者との私的な保険(法律)関係の権利義務の主体を意味しているのではないかと思われる。そうだとすると、その前提自体が、これまた国民健康保険の本質を全く理解していない立論だといわなければならない。国民健康保険事業は、(1)、保険者または被保険者となるかどうかは、任意でなく、市町村には国民健康保険を行う義務があり(法三条一項)、また、市町村の区域内に住所を有する者は、当然に当該市町村が行なう国民健康保険の被保険者となる(法五条)、(2)、保険料(税)の額は、一方的に決定される、(3)、保険給付の額は、保険料の多少により影響されないなどの特異性があり、そこには私保険の概念は全く妥当し得ないものといわなければならない。私保険における保険料は、保険者の危険負担に対する報酬であり、保険金に対する反対給付たる性質を有するが、国民健康保険の保険料は、負担能力に応じて徴収される保険者の徴収金であり、租税たる実質を有する。現在大阪市が行つている国民健康保険事業における経費調達の内訳をみると、国庫支出金が五割以上を占め、被保険者から徴収する保険料は僅か四分の一である。この事実は、国の国民健康保険行政に対する関心の高さを示しており、保険者に対する行政監督の必要性を実証しているだけでなく、国民健康保険が、私保険とはその本質を異にし、国の社会保険行政の重要な一部を支える行政事務であり、保険者は、この運営の最終責任者である国(法四条一項、一〇八条一項、四六条一項、四一条など参照)の委任(団体委任)を受けて同事業の実施に当つている行政庁以外の何者でもないことを如実に示しているといえる。

(7)、このように、保険者は被保険者に対する関係では、労使のような対等、平等の関係にはなく、優越した保険行政の処分庁として臨み、この行政権の行使を監督する意味において審査会が存在し、保険者は、自らが行なつた処分について、被保険者から審査請求がされれば、弁明書を提出するなどして、審査会の裁決に服すべき建前にあるものというべきであり、保険者と被保険者とが、保険関係の存否などに関する私的な紛争の解決を求めて、双方がそれぞれ対等の立場で、審査会に裁断を仰ぐという仕組にはなつていない。従つて原判決が保険者に出訴権を認めたことは、かかる行政制度の仕組、建前を無視した謬論といわざるを得ない。

(8)、原判決は、国民健康保険法にいわゆる保険者には、行政庁たる保険者(大阪市長)と権利主体たる保険者(大阪市)との二義があるとし、後者の地位において原告適格を肯定しているのである。しかし、この立論自体いわれなき独断といわざるを得ない。法は、保険者を市町村とし、保険給付その他の処分は市町村が行なうとしていて、行政庁たる市町村長が行なうものとはしていない。行政処分は、一般には行政庁が行なうものとして立法もされ、講学上もそのように説明されているのであるが、行政処分をするのは行政庁でなければならず、その帰属主体はその名において行政処分をなし得ないとする法理はないし、実際上もそう解しなければならない特別の事情があるとは考えられない。現に行政主体に行政処分をさせるいくつかの事例がある(道路法一六条、九六条二項、たばこ専売法八条、九条、九条の二等)。国民健康保険法は、保険者たる市町村をして行政処分をさせているのであり、この市町村とは、一義的に明白であるというべきであり、この市町村の行なつた行政処分に対する不服審査を控訴人にさせているのである。従つて、人の裁決に行政処分権者たる当該市町村が拘束されるのは当然のことである。(9)、原判決は、国民健康保険法上の住所の意義を誤解した結果、訴外柳沢操の住所について、重大な事実の誤認をしている。

公法上の住所は一人一個に限るべきであり、それは登録された住民票によつて認定すべきである。住民登録法は、一条で、「住民の居住関係を公証し、」「各種行政事務の適正で簡易な処理に資すること」を目的とし、国民に届出の義務を課し(一九条)、過料の制裁をもつて強制している(三一条)。従つて、市町村その他の行政庁は、住民票を尊重し、その記載事項に従つて行政事務を処理すべきである。もつとも公法上の住所は、主としてその場所で生活しているという定住の事実によつて裏付けられるべきであるが、その裏付に疑いがある場合でも、住民登録事務を処理する市町村には事実の調査をする権限と、職権で住民票の記載、消除、更正を行なう権限が与えられているのであるから、まずその措置をとるべきであり、それを行わずに住民票の記載を無視することは許されない。ことに本件のように、住民登録に関する事務を自ら処理する市町村が、住民票を作成したり、その謄抄本を交付して、ある人の住所を公証しておきながら、他方で、消除も更正も行わずにこれを無視することは自己矛盾も甚だしい。(ただし、大阪市西成区長は、本件裁決後、本訴提起直前頃に、昭和三六年三月三一日付で操の住民登録を職権で消除しているが、二年近く遡つて職権で消除することは、違法な措置である)

(10)、かりに住民票によつて住所を認定するのが無理であるとすれば、住所の所在は、住所の存在または不存在が、一定の法律的効果の発生の要件とせられている法律関係ごとに、その法律効果を付与するに適した場所的な関連があるかどうかという見地から、個別具体的に判定するほかはない。そうすると、法五条、七条の住所は、市町村が行なう国民健康保険の被保険者の範囲およびその資格取得の時期、換言すれば、法六条の適用除外のいずれにも該当しない者を、どの市町村の被保険者にするかを決定するための基準であるから、右住所の所在は、どの保険者が保険給付を行なうのが最も妥当かつ合理的であるかという見地から決定すべきものである。しかも、どの保険者の被保険者になるべきか、即ち、国民健康保険法上の住所がどこにあるかは、被保険者の方で容易に判断し得るものであることが望ましい。

(11)、ところで、入院加療者に対する保険給付は、どの市町村が行なうのが妥当であるかといえば、国民健康保険の保険料は、保険者の危険負担に対する報酬ではないけれども、国民健康保険事業に要する費用に充てるための徴収金であり(法七六条)、被保険者としても、将来疾病にかかつた場合には、その疾病に関しては、保険料を納めている保険者から必要な保険給付を受けることができる(法二条、三六条)と考えればこそ、保険料の徴収に応じているのが現実なのであるから、療養者の入院している病院の所在地如何にかかわらず、その疾病が治ゆするまでは、入院以前に保険料を徴収していた市町村が給付を続けるのが最も合理的であろう。そうしなければ、入院前の保険者は、それまで保険料を徴収しておきながら、給付を免がれ、入院後の保険者は、療養者からは、入院中に僅かな保険料を徴収し得るのに過ぎないのに、多額の給付を突如として、しかも継続的に強いられることになつて、保険者相互間の負担の公平を著るしく害するし、ひいては、国民健康保険の全般的な運営の上に、種々の好ましくない結果すら招きかねないからである。従つて、入院加療者の法五条、七条の住所は、入院後も入院以前の市町村にあると考えるべきである。しかし、このような考え方を徹底的に押し進めるならば、入院患者の住所については、同患者が入院前の市町村内の一定の場所に家族や家具類を残しているかどうかとか、入院中も継続して帰住する場所を同市町村内に保持しているかどうかということなどは、全然問題にならなくなる。現に国民健康保険と類似する法律関係について、生活保護法一九条三項は、「第三〇条第一項但書の規定により被保護者が収容された場合においては、その収容の継続中、その者に対して保護を行なうべき者は、その者の収容前の居住地又は現在地によつて定めるものとする」と規定している。

本件は、被控訴人の国民健康保険事業の発足の当初における被保険者の範囲の決定であるが、最初の被保険者に限つて、国民健康保険法上の住所を特に別に考えなければならない理由はない。

(12)、入院中は、療養のためのみの生活があるだけであり、一般市民としての通常の生活はあり得ないし、定住の意思もない。つまり生活の本拠たり得るものではない。公職選挙法二七〇条一項の「この法律に規定する住所に関する要件を定めるに当つては、病院その他の療養施設に入院加療中の者に対しては、その入院加療中の場所にその住所があるものと推定してはならない。」との規定も以上の趣旨を示すものであろう。

(13)、原判決は、「操が入院前に居住し、退院後帰住すべく予定していた部屋は、同人の入院後には同社の工員が起居し、……右社宅内に住込んでいた実父清作が同所を引揚げ、そのあとに実妹和江夫婦とその子どもが転居してきたため、全体的に相当手狭となり、操の残してきた家具類は、主として板敷の廊下に保管されていたこと、従つて当時すでに同人が退院後に右社宅に帰つたとしても、長帰にわたり居住できる状態にはなく、現に同人は昭和三八年三月退院後一旦右社宅に帰り、実妹夫婦が増築した簡易な組立式の部屋に起居していたが、二、三ケ月後には大阪市浪速区内のアパートに転居した」として、操の入院後の住所は、右社宅にはなく、病院にあるとする。

(14)、しかし、右工員や妹夫婦は、肉身または父の経営する会社の工員であり、必要があればいつでも譲り渡せる人達であり、現に操は千石荘を退院後右社宅に帰住したのであり、そこを出たのは、再婚という別の事情が生じたからである。このように、右社宅には操の家財道具が残され、身内の者によつて同人が帰住する場所が確保されていたのであり、同人の定住の意思も同所にあり、現に同所に帰住したのであるから、生活の本拠としての客観的事実を認定するのに何らの不足もない。入院加療中の場所には住所はないという原則を覆えしてまで、入院加療中の場所を住所と認定すべき特別事情もないのである。

二、被控訴人。

(1)、審査法四三条一項の規定による裁決の拘束力は、講学上「行政行為の拘束力」として説かれる性質のものであつて、「不可争力」または「形式的確定力」を意味するものではない。裁決の拘束力は、行政庁だけでなく、審査請求人にも及ぶのであるが、審査請求人は、裁決に不服があれば、出訴して争い得るわけであつて、右の「拘束力」があるということと、裁決を争い得るかどうかということは、別個の問題である。従つて、同条の規定を直接の根拠として裁決に対する地方公共団体の出訴が当然否定されるものということはできない。

(2)、実体組織法上処分庁が審査庁の指揮命令に服従すべき場合には、それがたまたま行政不服審査手続によつて上級庁の意思が表明された場合であつても、下級庁の服従義務が変らないのは当然であつて、この場合に処分庁が審査庁の裁決を争い得ないことに異論はないが、本件の場合のように実体組織法上処分庁と審査庁との間に、一般的指揮監督関係が存在しない場合には、審査庁による原処分の取消は、一の組織体内部の自己反省ではなく、一の権利主体の意思が、他の権利主体の意思に優越することを意味するのであつて、このような場合に地方公共団体に出訴を認めないのは、自治権の侵害というべきであり、憲法九二条の趣旨に反するものといわざるを得ない。

(3)、国民健康保険に関しては、都道府県知事の附属機関である国民健康保険審査会が、保険者に対して一般的指揮監督権を有していないことはもちろんであるが、知事についても、国民健康保険が団体委任事務であることからして、機関委任事務におけるような権力的な指揮監督権が認められているのではなく、国民健康保険法一〇八条の規定により保険者から報告を徴する等の権限が与えられているほか、地方自治法の団体委任事務に係る非権力的監督権限が与えられているに過ぎず、たとえば保険者に対して訓令をしたり、保険者の処分を取消す権限が知事に与えられているのではない。

(4)、控訴人は、行政不服審査制度が、行政監督の作用をもつものであるから、審査庁の裁決には、処分庁に対する優越的妥当力が認められるべきであると主張されるが、右のような実体組織上の指揮監督関係にかかわりなしに、行政不服審査一般について、このような考え方をすべき根拠はない。行政不服審査制度が行政の適正な運営を確保するための監督としての本質を有するとしても、地方公共団体に出訴を認めたからといつて、右監督権の行使が阻害されるわけのものでもない。

(5)、右制度が国民の権利利益の救済を目的としているのであるから、行政庁の側からの出訴を認めることはその制度的意義を失わしめるという見解もあるが、地方公共団体に出訴を認めることによつて、原処分に不服を有する私人には、争いの早期確定を妨げるという不利益を与えるものの、実体上の権利については、何らの侵害も加えられるわけではなく、出訴が認められないことによる右のような実体組織上の不合理を考慮に入れると、この程度の不利益が私人に負わされてもやむを得ないというべきであろう。

(6)、国民健康保険の法律関係が、私保険とは異なる面の多いことは、控訴人が主張するとおりである。しかしながら、一般的に社会保険における保険者は、公共事務の主体として、公法的に組織され、利用強制が定められており、また給付関係の内容が法律によつて規範化されているからといつて、それだけではその法律関係をすべて公法関係と考える根拠にはならない。また法律関係が行政行為によつて基礎づけられるということも、その法律関係の内容を公法関係とする理由にはならず、保険料が自力執行力をもつ債権であるということも、法律関係全体の公法的性質を推定せしめるものではない。

(7)、かりに、一般に社会保険といわれる部門の法律関係が公法関係として構成されているとしても、このような場合の権力行使は、実質的基盤において、伝統的な公権力の行使の場合とは異なるのであり、基本的には保険者と被保険者との間の当事者関係と解すべきである。

(8)、国民健康保険法上の住所は、あくまでも生活の本拠と認められる客観的事実の有無によつて決すべきである。操の住所についての被控訴人の主張は、第一次的には千石荘所在地にあつたというのであり、第二次的には、父清作の住所にあつたというのであるが、父清作の住所にあつたとの主張については、つぎのとおり補足する。

(9)、操は、入院の約半年前にあたる昭和三四年六月二〇日、吉見電機工業株式会社を退職しており、同社に勤務していた期間でさえ、乙第二号証にみられるように、多額の給与を受けていなかつたのであり(月額金八、〇〇〇円余り)、その当時から既に父親清作と生計を一にしていたものと想像されるのであるが、退社後においては、収入がなくなつたので、父親に扶養され、父親と生計を一にしていたものと考えるほかない。操の父親清作も同社宅内にも居住の場所を有しており、操は父親と一緒に居住していたこと、更に、操の子供も右清作の住居である高石町で扶養されていたことなどを考慮すると、操は、父親清作の扶養家族として、その世帯に属していたというべきである。

(10)、同一の住居に居住し、生計を一にしている者は、同一世帯員として認定されるのであるが、居住を一にしていない場合でも、同一世帯として認定することが適当であるときは、同様とされている。生計を一にしている者が、病気治療のために入院している場合なども、通常同一世帯に属するものと考えられている。国民健康保険の住所の認定にあたつて、世帯を無視すべきでないことは、保険料の支払義務が、被保険者の属する世帯の世帯主にあり、(法七六条)また、各種届出の義務も世帯主にある(法九条)ことを考えれば明らかであろう。

(11)、要するに、操の入院前の住所は、父親清作の住所である高石町にあつたものと解すべきである。

(当審の証拠)(省略)

理由

当裁判所も被控訴人の請求を正当なものと認めるがその理由は原判決二七枚目表末行「同第一四号証、」の次に「同第一五号証、」を、同裏三、四行目「証人柳沢清作」及び同裏六行目「証人柳沢操」の次に各「(原審)」を、同裏八行目「同柳沢操」、「同柳沢清作」及び同裏九行目「同吉崎和江」の次に各「(原審及び当審)」をそれぞれ挿入するほかは、原判決理由記載の判断説示と同一であるから、これを引用する。

なお、控訴人が当審においてなす右認定に反する主張は、控訴人の独自の見解によるものであつて、当裁判所はこれを採用しない。

右によれば、被控訴人の請求を認容した原判決は相当であるから、本件控訴を棄却することとし、控訴費用については、民訴法八九条、九五条に従い、主文のとおり判決する。

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